北村氏
同じブランド、同等の客室、同水準のサービスを備えたラグジュアリーホテルでも、立地する市場によって客室平均単価(ADR)は大きく異なります。10万円を超えるADRが通年で成立する市場がある一方、同じ水準が繁忙日にしか成立しない市場もあります。
この差は、ブランド力や運営努力だけでは説明できません。どのような旅行者が訪れ、何を目的に滞在し、需要に対してどれだけの競合客室があり、今後どの程度供給が増えるかという市場構造が、ADRの上限を決めています。
本稿では、ラグジュアリーホテルのADRの天井を、「需要の質」「目的地の引力」「供給の希少性」「将来の供給余力」「ホテルの価格獲得力」という五つの要素から評価します。
ADRの「天井」とは何か
ここでいう天井とは、予約サイトに表示された最高価格ではありません。スイートルームや大型イベント開催日の例外的な価格でもありません。
本稿におけるADRの天井とは、曜日や季節を通じて繰り返し実現できる、安定期ADRの上限を指します。
開発査定では、同等のブランド階層、客室タイプ、販売条件をそろえ、実際に販売されたADRの上位水準を確認します。そのうえで、曜日、季節、イベント、為替、開業効果などの影響を調整し、安定期に持続可能な価格を判断します。
開業直後の話題性や一時的な供給不足によって、高い価格が成立することはあります。しかし、その価格を安定期の事業収支に採用すると、ホテルの収益力を過大評価するおそれがあります。
五要素を簡単な式で表します
五つの要素の関係は、概念的には次の式で表せます。
P=P₀×(M×N×K×S)÷R
それぞれの記号は、次の意味を持ちます。
P:安定期に実現可能なADRの上限
P₀:比較の基準となるADR
M:需要の質
N:目的地の引力
K:供給の希少性
R:将来の供給余力
S:ホテルの価格獲得力
基準ADRは、同等のブランド階層、客室面積、サービス水準を持つ複数ホテルの安定期実現ADRを比較し、原則としてその中央値から設定します。単一ホテルの最高価格や、予約サイトに表示された価格だけを基準にしてはいけません。
また、基準とする市場、比較ホテル、基準時点は、五要素の採点を始める前に固定します。分析結果を見た後で基準を変更すると、恣意的な査定になるおそれがあるためです。
各要素は、比較対象となる標準的な市場を1.00として指数化します。需要の質、目的地の引力、供給の希少性、ホテルの価格獲得力は、1.00を上回ればADRを押し上げ、下回れば押し下げます。
将来の供給余力は反対です。新規供給が増えやすいほど競争が強まるため、指数が大きくなるとADRの天井を押し下げます。
この式が掛け算であるのは、一つの弱点が、ほかの強みの効果を制限するからです。需要の質が高くても目的地の引力が弱ければ、高いADRは持続しません。市場環境が良好でも、ホテルの価格獲得力が弱ければ、その天井には到達できません。
なお、この式は五要素の関係を整理するための簡易モデルです。簡易的な一次査定では五要素を同じ重みで扱いますが、各要素が実際のADRに与える影響度が同じであるとは限りません。本査定では、市場データや比較ホテルの実績に基づいて重要度を調整します。
第一の要素:需要の質
ADRを左右する第一の要素は、宿泊者数そのものではなく、どのような宿泊需要が存在するかです。
同じ規模の旅行需要でも、旅行予算、宿泊費への配分、滞在日数、利用する客室タイプが異なれば、ラグジュアリーホテルに対する需要は大きく変わります。したがって、観光客数や外国人比率だけでは、高価格帯の需要を説明できません。
需要の質は、次の情報から評価します。
発地国・地域別の一人一泊当たり宿泊支出
富裕旅行者の構成
上位客室やスイートの利用率
旅行目的
平均宿泊日数
為替
高付加価値旅行商品の利用状況
旅行全体の支出額は、買物額や滞在日数の影響を受けます。可能な限り宿泊費と泊数に分解し、一人一泊当たりの宿泊支出を確認する必要があります。
観光庁のインバウンド消費動向調査などを利用し、発地市場別の宿泊支出力を実際の宿泊者構成で加重することで、市場に来る顧客の支払能力と支払意思を評価できます。
第二の要素:目的地の引力
次に重要なのは、高い宿泊料金を払ってでも、その場所に滞在したい理由があるかどうかです。
文化、歴史、自然、食、リゾート、エンターテインメント、ウェルネス、国際会議などが、滞在目的となります。交通や業務上の都合で宿泊する市場では、旅行者はホテルを価格で比較しやすくなります。一方、滞在そのものが旅行目的となる市場では、ホテルに対する支払意思が高まります。
目的地の引力は、次の情報から評価します。
観光目的の宿泊比率
平均宿泊日数
再訪意向
目的地名の検索数
高付加価値体験の販売額
国際会議や大型イベントの開催実績
週末や繁忙期の価格プレミアム
日帰り客と宿泊客の構成
予約サイトにおける目的地の表示・分類状況
旅行商品や特集における露出状況
予約サイトや旅行会社が、その市場を独立した目的地として扱っているかどうかも、目的地の引力に影響します。
独立したデスティネーションとして認識される市場では、旅行者が目的地名からホテルを検索するため、高価格帯の宿泊需要に接触しやすくなります。一方、近隣の主要市場の一部として扱われる場合や、検索・特集上の露出が小さい場合は、質の高い宿泊施設があっても、その存在が富裕旅行者に十分届かない可能性があります。
ただし、予約サイト上の扱いだけでADRが決まるわけではありません。これは、目的地の認知度と高価格帯需要への接触機会を示す補助的な指標として位置づけます。
また、観光資源が多いことと、高いADRが成立することは同じではありません。来訪者が多くても、日帰り利用が中心であったり、宿泊に対する支出が小さかったりすれば、ラグジュアリーホテルのADRには十分に転化しません。
重要なのは観光客数ではなく、その場所に泊まるための支払意思を生み出しているかどうかです。
第三の要素:供給の希少性
需要に対してラグジュアリー客室が少ない市場では、ホテル側の価格決定力が強くなります。
ここで確認すべきなのは、市場全体の客室数ではありません。ビジネスホテルや宿泊特化型ホテルが多くても、それらが最高級ホテルの代替になるとは限らないからです。価格帯、ブランド階層、客室面積、サービス水準をそろえて、実質的に競合する客室数を把握する必要があります。
供給の希少性は、次の情報から評価します。
同等クラスのホテル数と客室数
同等クラスの稼働率
満室日数
予約リードタイム
販売停止日
高需要日における価格上昇率
予約を受けられなかった潜在需要
同等クラスの検索数を販売可能客室数で除した需要密度
目的地名の検索数は、第二の要素である「目的地の引力」に含めます。一方、供給の希少性では、高価格帯ホテルに対する検索需要を、実際に販売可能な同等クラスの客室数と比較します。この区分により、検索データを重複して評価することを防ぎます。
実際の宿泊者数だけでは、満室によって取り込めなかった需要を確認できません。需要密度や満室日数などを用いて、潜在需要を補足する必要があります。
需要が増えても空室が多い市場では、需要の増加は主に稼働率に吸収されます。稼働率が高止まりし、追加需要を受け入れる客室が少なくなった段階で、需要増加がADRに強く転化します。
第四の要素:将来の供給余力
現在の供給不足と、将来も供給不足が続くことは別の問題です。
現在はラグジュアリー客室が少なくても、今後数年間に複数のホテルが開業すれば、希少性は低下します。反対に、土地、建築費、用途規制、景観規制、人材不足などによって新規供給が難しい市場では、需要の増加がADRに反映されやすくなります。
将来の供給余力は、次の情報から評価します。
開業予定のホテルと客室数
既存客室数に対する供給増加率
ホテル開発可能用地
地価と建築費
用途、高さ、景観などの規制
開発計画から開業までの期間
ホテル従業員の採用可能性
計画中のホテルを単純に合計してはいけません。開業済み、工事中、事業決定済み、構想段階では、実現可能性が異なります。開業時期と実現確率に応じて、新規供給を加重評価する必要があります。
また、第三の要素が「現在の需給逼迫度」を表すのに対し、第四の要素は「将来の供給増加リスク」を表します。この時間軸を明確に分けることで、両者の重複を避けます。
第五の要素:ホテルの価格獲得力
最初の四要素が市場の構造を表すのに対し、最後の要素は、個別ホテルが市場需要をどこまで自社のADRとして獲得できるかを表します。
価格獲得力は、次の情報から評価します。
ブランド認知度
海外顧客基盤と会員組織
客室面積と眺望
建築とデザイン
レストラン、スパ、ラウンジ
スイート比率
サービス品質
口コミ評価
個別ホテルの掲載順位と露出
写真や紹介文の質
販売チャネル
直接予約比率
そのホテルでしか得られない体験
予約サイトにおける目的地全体の扱いは、第二の要素である「目的地の引力」に含めます。一方、同じ市場内での掲載順位、写真、口コミ、プラン構成など、個別ホテルが改善できる部分は「価格獲得力」として評価します。
この区分によって、市場全体の認知度と、個別ホテルの販売力を重複して計上することを防ぎます。
有力な国際ブランドは、海外顧客へのアクセスと価格への信頼をもたらします。しかし、ブランドを導入しただけで、想定ADRが自動的に実現するわけではありません。その目的地に泊まる理由と、そのホテルを選ぶ理由の両方が必要です。
市場が決めるのは「構造的なADRの天井」であり、ホテルの商品力と販売力が、その天井のどこまで到達できるかを決めます。市場の評価と個別ホテルの評価を分けることが、このモデルの重要な考え方です。
五要素の採点基準
五要素を比較可能な形にするため、各要素の採点基準を統一します。簡易分析では、次の五段階を使用します。
0.80:基準市場より明確に弱い
0.90:基準市場よりやや弱い
1.00:基準市場と同程度
1.10:基準市場よりやや強い
1.20:基準市場より明確に強い
需要の質、目的地の引力、供給の希少性、価格獲得力は、評価が高いほどADRを押し上げます。
将来の供給余力は反対です。供給が増えやすい場合は1.10または1.20、供給が増えにくい場合は0.90または0.80と評価します。
採点は印象で決めず、各評価について、使用したデータ、基準時点、比較対象、判断理由を記録します。
また、五つの指数を掛け合わせると、一つ一つの評価差が最終結果では大きな差になります。指数の設定は客観的なデータに基づき、合理的な根拠がない限り、過度に高い値や低い値を使用しないことが重要です。
五要素は「証明された法則」ではありません
五つの要素には経済的な合理性がありますが、普遍的に正しいと証明された法則ではありません。ADR形成を整理し、想定単価の持続可能性を検証するための仮説モデルです。
実証するためには、複数市場についてホテル別・月別データを収集し、各要素がADRに与える影響を統計的に推定する必要があります。変数の定義を変えても結果が維持されるか、未知の期間や市場でも予測できるか、より単純なモデルより精度が高いかを確認します。
また、需要の質が高いからADRが上がるだけでなく、高価格ホテルが開業した結果として富裕旅行者が増える可能性もあります。需要と価格の相互作用を考慮し、単純な相関を因果関係として扱わないことが重要です。
したがって、「五要素によってADRが証明される」と説明するのではなく、「五要素を用いて想定ADRの持続可能性を検証する」と位置づけるのが適切です。
ホテル経営への示唆
個別ホテルが市場全体の構造を短期間で変えることは困難です。しかし、市場の天井に近づくための施策は講じられます。
第一に、高付加価値旅行会社、海外コンソーシアム、富裕層向けカードなどを通じて、支払能力の高い顧客への販売経路を確保します。
第二に、食、文化、建築、ウェルネス、地域体験などを、宿泊の付属品ではなく、滞在目的として設計します。
第三に、需要の強い日に安価な客室を早期販売し過ぎず、客室タイプ別に在庫と価格を管理します。
第四に、写真、紹介文、口コミ、サービス、直接予約、顧客データなどを一貫させ、ブランド価値を実際のADRに転換します。
重要なのは、ブランドを導入することではありません。ブランドが連れてくる顧客を、年間を通じて必要な宿泊需要へ転換することです。
結論
ラグジュアリーホテルのADRの天井は、ブランド名だけでは決まりません。
市場の構造的な天井は、需要の質、目的地の引力、供給の希少性、将来の供給余力によって決まります。そして、個別ホテルの価格獲得力が、その天井のどこまで到達できるかを決めます。
開発査定で問うべきなのは、最高価格が成立するかどうかではありません。想定するADRで、平日や閑散期を含めて必要な販売量を継続的に確保できるかどうかです。
五つの要素を共通の基準で測定すれば、想定ADRを感覚やブランドへの期待だけで決めるのではなく、市場構造、需要の厚み、供給リスクに基づいて説明できます。
ADRの天井は運命ではありません。しかし、経営努力だけで自由に決められるものでもありません。
目的地としての認知や市場全体の供給構造など、個別ホテルだけでは変えにくい要素があります。一方で、商品、体験、サービス、販売方法など、ホテル自身が改善できる要素もあります。
変えることが難しい市場構造と、ホテルが変えられる価格獲得力を分けて評価することが、ラグジュアリーホテル開発を定量化する出発点です。
株式会社日本 ホテルアプレイザル代表取締役/株式会社サクラクオリティマネジメント代表取締役/一般社団法人宿泊施設関連協会副理事長 北村剛史




