インバウンド時代の「二重価格」を考える 東海大学観光学部教授 崔載弦


東海大学観光学部教授 崔載弦氏

 訪日外国人旅行者(インバウンド)は、新型コロナ禍から急速に回復し、日本経済や地域観光を支える存在となっている。観光庁の統計によれば、2025年の訪日外国人旅行者数は約4,300万人に達し、消費額も9.5兆円規模に上った。人口減少や地域経済の停滞に直面する地方にとって、観光消費は大きな経済的機会となっている。

 インバウンド需要の回復によって、観光地では宿泊単価の上昇や観光消費拡大への期待が高まる一方、現場では混雑対応に加え、人手不足の問題も深刻化している。特に地方観光地では、清掃や交通整理、多言語対応などの追加負担に限られた財政や人員で対応しなければならない状況が目立つ。京都では、観光シーズンになると市バスが慢性的に混雑し、通勤・通学時間帯に住民が乗車できない状況も起きている。富士山周辺では、警備人員の確保や交通整理などが自治体の負担を増やしており、混雑が地域住民の生活環境にも影響を及ぼしている。いわゆる「オーバーツーリズム」の問題である。観光消費の拡大が期待される一方、自治体財政には混雑対策や観光インフラ維持の負担が重くのしかかる。観光振興と住民生活の両立をどう図るかが、今日の観光政策の重要課題となっている。

 こうした中で議論されているのが、外国人旅行者と国内居住者で料金を分ける「二重価格」制度である。この制度は単なる値上げや排外主義の問題ではない。観光地の維持費を誰が負担し、観光資源をどう持続可能なものとして管理するかという問題である。

 

観光資源は誰が支えるのか

 観光資源には公共財的な性格がある一方、利用者が増えるほど混雑や劣化が進む「共有資源」としての側面も持つ。寺社仏閣や自然公園では、観光客の増加によって修繕費、清掃費、警備費、交通整理費などが増加する。さらに、混雑や騒音、交通渋滞などの負担は地域住民にも及ぶ。これは経済学でいう「外部性」にあたる。

 こうした追加コストに対応するため、多くの国では宿泊税や観光税、環境保全料などを導入している。欧州では観光税は一般的であり、タイの国立公園やインドの文化遺産では外国人旅行者と国内居住者で料金を分ける制度が導入されている。目的は、観光資源の維持管理費を確保し、地域住民の負担を軽減することにある。

 現代の観光政策では、「受益者負担」という考え方が重視されている。これは、観光地を利用して恩恵を受ける者が、その維持費用の一部を負担するという仕組みである。観光客自身も、その当事者であることに変わりはない。実際、日本の道路、公園、公共交通、文化財などの維持には住民の税金が投入されている。一方で、短期滞在の旅行者は、それらを利用していても継続的な税負担を基本的には担っていない。もちろん、旅行者は宿泊、飲食、買い物などを通じて地域経済に貢献している。しかし、観光客の増加によって自治体の清掃費や混雑対策費用は拡大しており、追加的な利用負担を求めることには一定の合理性がある。

 

二重価格は「差別」か「持続可能性」か

 大学の授業で学生と議論した際にも、「文化財保全や混雑対策のためであれば理解できる」という意見は少なくなかった。一方で、「外国人だから高い」という単純な制度設計には慎重な意見もあり、観光税、多言語サービス料金など、料金設定の目的を説明できる形にすべきだという指摘もあった。

 二重価格をめぐる議論においては、「誰がすでに維持費を負担しているのか」という点に注目する必要がある。実際、海外では「ローカル料金」や「住民割引」という形で、料金を差別化している例も少なくない。しかし、実務的な観点から見ても、現行料金に加えて「外国人旅行者料金」を設定することは、すでに税金等で維持費を負担している国内居住者との公平性を保つための現実的な制度設計と言えるのではないだろうか。

 もちろん懸念もある。同じサービスに国籍による価格差を設ければ、「差別」と受け止められる可能性がある。また、実際に導入する場合には、宿泊施設や観光施設の窓口で料金差の理由を説明する負担も生じる。さらに、日本在住外国人をどう扱うのか、確認方法をどうするのかなど、制度運用には細かな設計が求められる。制度目的や料金差の根拠、徴収した財源の使途が不透明であれば、社会的理解を得ることは難しいだろう。

 加えて、二重価格が観光客の行動をどこまで変えられるのかについても慎重に考える必要がある。旅行は日常的な消費活動とは異なり、「今しか行けない」「一度は訪れたい」といった非日常的・経験的価値を伴う。そのため、入場料などを数百円から数千円程度引き上げたとしても、混雑抑制や観光客分散の効果は限定的である可能性がある。もしそうであるならば、二重価格制度は需要抑制策というより、観光地維持のための財源確保策としての性格が強くなる。だからこそ、徴収した追加負担を何に使うのかという使途の透明性が重要になる。清掃、交通対策、文化財保全、住民生活支援などにどのように還元されるのかが明確でなければ、制度は単なる「外国人だけ高い料金」と受け止められかねない。

 観光地は、利用されなければ維持できない一方で、利用が集中しすぎれば資源そのものが劣化する。重要なのは、インバウンドを排除することではなく、地域住民と観光客が共存できる持続可能な観光の仕組みを構築することである。二重価格制度は、そのための一つの政策手段として議論されるべきではないだろうか。

 

東海大学観光学部教授 崔(チェ)載弦氏

大阪府立大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。専門は、インバウンド(訪日旅行)、観光の社会性、オーバーツーリズム、外国人労働者と日本型サービス。インバウンド誘致アドバイザー、ビジネスコンサルティング、研究所勤務を経て、2021年から現職。

 

 
 
新聞ご購読のお申し込み

注目のコンテンツ

第39回「にっぽんの温泉100選」発表!(2025年12月15日号発表)

  • 1位草津、2位下呂、3位道後

2025年度「5つ星の宿」発表!(2025年12月15日号発表)

  • 最新の「人気温泉旅館ホテル250選」「5つ星の宿」「5つ星の宿プラチナ」は?

第39回にっぽんの温泉100選「投票理由別ランキング 」(2026年1月1日号発表)

  • 「雰囲気」「見所・レジャー&体験」「泉質」「郷土料理・ご当地グルメ」の各カテゴリ別ランキング・ベスト50を発表!

2025年度人気温泉旅館ホテル250選「投票理由別ランキング」(2026年1月12日号発表)

  • 「料理」「接客」「温泉・浴場」「施設」「雰囲気」のベスト100軒