
訪日中国人観光客が増大している。JNTOによれば、7月累計で前年比7%増の406万人に達し、国別ではトップだという。そんな実態を踏まえ、中国人観光客のニーズや動向を知るために、中国の観光地を巡ってきた。
蘇州、西安、敦煌などに続き、先月末には、長江の南側に位置する安徽省の世界遺産・黄山とその周辺を訪れた。たまたま、私の大学で助手を務めてくれているリ・ガン君が黄山市出身なので、彼の帰郷に合わせた訪問だった。
黄山は、氷河と風雨により岩石の浸食が1億年にわたって繰り返された断崖絶壁の景勝地で、昔から漢詩や水墨画の題材として有名だ。明の時代には「黄山を見ずして山を見たというなかれ」という詩句が残されたほどだ。2年前に整備されたばかりの高速鉄道に乗ると、上海虹橋駅から4時間強で黄山北駅に到着する。登山口からは一般車乗り入れ禁止の措置が取られ、シャトルバスとロープウエーを乗り継いで、あっという間に1864メートルの山頂近くに上がれた。
筆者が訪れた8月末は、新学期を控えてピークを過ぎていたにも関わらず、石畳で見事に整備された遊歩道は親子連れなどで数珠つなぎ状態だった。ハンドマイクを抱えて大声で叫ぶ添乗員に連れられた団体観光客もたくさんいた。
黄山に限らず蘇州、西安どこの観光地も国内観光客で活況を呈していた。マスツーリズム絶頂期の1980年代の日本を彷彿とさせた。昨年の中国国内全体の延べ観光客数は44億人で、年々伸びているという。まさに、国内観光ブームだ。
リ君によれば、中国観光は80年頃から国主導で本格化し、地方政府が自律的な発展計画の柱に据えたために各地で盛んに展開されているという。黄山市も、当時の鄧小平副主席の後押しもあって早くから観光立市に取り組んだ。
最近では、観光地間の競争が激化するにつれ、自然などのスポット観光だけでは観光客を引き留めることができないと気づいた地方政府は、特色ある歴史文化を掘り起こすようになったという。国も「文化生態保護区」「中国歴史文化名街」の保護制度を始めた。
そのせいか、蘇州や西安では旧市街の保護・開発が急ピッチで進んでいた。黄山市でも、明清の時代に塩の専売権で栄えた徽州商人が構えた旧市街の町並みの整備が進んでいた。昔のままの商家では、紅茶など徽州名物が売られていた。
このように、中国観光は自然や名所などの一本足打法を脱却し、歴史文化を含めた「全域観光」にシフトしてきた。黄山市も、今年を観光再出発の時期と位置づけ、「天地の美は黄山にあり、人生の夢は徽州で叶う」というスローガンを掲げていた。
これらの実態をみると、成長一辺倒だった国内観光は節目を迎えていると、感じた。わが国がそのような中国人観光客を迎えるにあたり、彼らのニーズや動向の変化をしっかりと捉えないと一過性のブームに終わってしまうと、痛感した旅だった。
(大正大学地域構想研究所教授)