人の死は悲しい。死因によって悲しさも異なるが、自然災害による死は犠牲、自治の責任だけにやるせない。自治、つまり政治が人の命を奪うことだ。とはいえ、自然災害は予告なしに突然やってくる。で、そのための防災のために準備を進める。だが、平時、巨額の金を使って工事を推進すると無駄づかいという批判が湧き上がる。反権力側の人たちの声。
欧州ではダム造りをやめる。今あるダムをなくし、自然を守る、環境を守るという耳に響きのいい政策が、当時の民主党に影響を与えた。
「コンクリートから人へ」というスローガンは、国民の心を動かし、ダムや堤防、道路整備に力を入れる自公政権を打倒する。国民受けした、このスローガンが国民を悲劇のどん底に落とす。あの3・11だ。欧州の政策は、まったく異なる風土下では役に立たない証明をしてくれたと同時に、国土強靱(きょうじん)化の大切さを私たちに教えてくれた。
熊本県・球磨川の最大支流である川辺川にダムを建設すべきかどうか苦しんでいた蒲島郁夫知事は、2008年9月にダム計画の白紙撤回を表明。1965年の球磨川大水害から43年がたっていた。水没予定地の五木村長が建設に同意したものの、流域市町村で賛否が二分、知事も決断できなかった。白紙撤回をすれば失敗がない。次の選挙を考慮すれば、敵を作らないことだ。
しかし、2020年7月、九州豪雨で球磨川が氾濫、かつてないほどの被害を出した上に60名を超す犠牲者を出した。知事への風当たりは強まり、ダム造りに翻弄(ほんろう)されてきた県民の人たちの怒りは大きく、蒲島知事の心をゆさぶる。東大教授からの知事への転出、学者の目からの判断ではなく、現実の政治家として県民の命を守る立場からの決断が求められるようになったのだ。2020年11月、知事は県議会で川辺川での「流水型ダム」建設を容認すると表明、60数名の人身御供をした結果だ。
「脱ダム」政策が、自然環境の保護という美名のもと、巨額な予算を必要とするゆえ、幅をきかせる。が、犠牲者を出して自然の想像以上のパワーに気づく。こんな政治では人の生命は守れない。政治に求められるのは先見性と万が一に対応できる能力である。球磨川の大水害は、65年だけではなく3年も続いたのだから、政治は機能していなかった。
自治体の責任は大きい。豪雨被害の教訓が生かされず、いけにえたる犠牲者を出してから政策決定をするのでは悲しい。
政治の貧困は、民衆を苦しめる。蒲島知事がダム計画を白紙撤回した翌年、民主党の前原誠治国交大臣はダム建設中止を表明した。まさに「コンクリートから人へ」の政策、群馬県の八ツ場ダムの中止も民主党の政策実現であった。
熊本城が大被害を受ける地震が熊本県を襲った。以来、蒲島知事は作業服姿で県民に寄り添う。大自然の恐怖を体験した知事は、日本の風土を解したに違いない。
その頃、文部科学省は「大学スポーツの振興」を考える委員会を発足、私は蒲島知事と同じ委員として席を並べた。元教授だけあって、幅広の知識をもち、情熱的に大学スポーツを語られた。毎回の出席は作業服姿、熱心に取り組まれたことを思い出す。
蒲島知事が赤羽一嘉国交大臣に要請したのは、「流水型ダム」の建設である。増水した時にだけ水をためる治水専用のダムだ。ダムの底に水を流す穴があり、普段は穴を通って水が流れる。雨量が多いと、穴を流れる水量が多くないためダムは貯水の役割を果たす。が、ダムより下流が集中豪雨に襲われれば心配なので、堤防等の工事も求められ費用がかさむ。
知事は、「流水型ダム」ならば、安全と環境を守れると考えたらしい。「清流を守ってほしい」という流域住民の声を反映させた印象を受けるが、この種のダムは日本ではたったの5例しかなく未知数というしかないのだ。
日本の川は急流が多い。諸外国の例は参考にならない。自治体の決断が住民の生命と直結している。フラフラした自治体の政治では、自然災害から住民を守れない。早い決断が求められている。