最近のウクライナ情勢を告げる報道には、目を覆いたくなる。自分にも何かできることはないか?と考え、まずはウクライナについていろいろ調べてみると、ウクライナとロシアって、兄弟みたいなものなんじゃないか?と思った。ウクライナ人もロシア人もスラブ民族で、中でも同じ東スラブ人だ。歴史的にも両国は、現在のウクライナの首都キーウ(キエフ)を中心として中世に栄えた、キエフ大公国の文化の流れを受け継いでいるという。だから、似た物が多いのだ。
例えば多くの人がロシアの民族舞踊だと思っているであろう「コサックダンス」も、元はウクライナの伝統舞踊だそう。ウクライナ・コサックと呼ばれる戦士集団が、体を鍛えるために行っていた武術が変容したといわれている。
食文化も似ている。同じくロシア料理だと思われている「ボルシチ」も、やはりその発祥はウクライナだ。ビーツで真っ赤に染まったあのスープ、筆者もロシアの伝統料理だと思い込んでいたが、ロシアには「シチー」というキャベツが主役のスープがあり、家庭料理としてはそちらの方がポピュラーなようだ。
ウクライナには、地方ごとにボルシチのさまざまなバリエーションがあり、その種類は50近くにのぼるという。「スイバ」という酸味のある葉野菜を使った、緑のボルシチもあるそうだ。どのレシピも、スープに酸味があることと、発酵乳製品「スメタナ」を入れるのは共通らしい。このスメタナ、日本ではサワークリームで代用されるが全く別物で、使われる菌の種類が違うため、食感が軟らかく、酸味も穏やかだという。
本格的なボルシチには、ビーツだけでなく、スライスしたビーツを発酵させた「ビートサワー」なるものも入れるそうだ。コレが甘酸っぱい味の決め手になるのだが、トマトの酸味で代用する場合も多い。
実は、ボルシチに思い入れのある筆者。父方の祖母は、住み込みのお手伝いさんがいたからほとんど台所に立たなかったが、われわれ孫たちが遊びに行くと腕を振るってくれた。その数少ないメニューの一つが、なぜかボルシチだったのだ。当時はビーツが簡単に入手できなかったはずで、トマトで代用していたのだろう。お肉屋さんの御用聞きに牛骨を頼んでスープを取っていたと、後に母から聞いた。骨髄のうま味が、あのおいしさの素だったのだ。
ちなみに、日本に初めてボルシチを紹介したのは、新宿中村屋とされる。同店の創業者が、大正3年にウクライナから来日した盲目の詩人の面倒を見たのだ。故郷の味として彼から伝えられたボルシチは、昭和2年開業時、「純印度式カリー」と共に看板商品として売り出されたそうだ。
それにしても、同じ民族同士が、なぜ兄弟げんかをしなきゃいけないのか? 同じルーツを持つボルシチを、仲良く一緒に食べることはできないのか? おいしいボルシチの力で、平和を取り戻せたらいいのに…。頑張れ、ボルシチ!
※宿泊料飲施設ジャーナリスト。数多くの取材経験を生かし、旅館・ホテル、レストランのプロデュースやメニュー開発、ホスピタリティ研修なども手掛ける。